2015年、夏。
富士山に登りました。これはただそれだけの記事です。
この記事は、これから富士山に登ろうと思っている人にはあまりおすすめしません。
また、富士山に登ることが好きな人にもおすすめしません。
私個人の考え方として、登山には型がないと思っています。
山に登る理由は、人それぞれですし、何を思って山に登ってもいいと考えています。
山頂を踏みたい。日本百名山に登りたい。山でおいしいご飯を食べたい。おいしいお酒を飲みたい。きれいな景色が見たい。
人それぞれ山に求めるものが違います。
そう思っている私が富士山に登った結果、たぶんこれから自発的に富士山に登ることはないだろうなと思ったので、こんなタイトルの記事になりました。
富士山に登ることになりました
2013年に立山、2014年に白山と登りました。
日本三大霊山はご存知でしょうか。富士山、立山、白山の霊山のことです。立山に登り、登山をしようと志し、白山に登り、山がもっと好きになりました。
しかし、富士山にはあまり登りたいと思わなかったのです。なんとなくですが、富士山は人が多すぎて観光地化していると思っていました。観光地化している山は多くありますし、立山も観光地化していると言えばそうだと思います。
そもそも観光地化というのは言葉は難しいです。どこへ行っても人がいるならそこは観光地なのでしょうか。そもそも登山は観光になるのか。その定義をいまいち理解していないので、この記事はそもそもが破綻しているかもしれません。
しかし富士山は立山とは比べものにならないくらい観光地化しているのではないかという危惧があったのです。
例えば富士山は誰でも知っている山ですが、立山を知っている人は少なくなります。特に日本で一番高い山は富士山と即答できるのに、二番目に高い山を答えることのできる一般人が少ないといった具合に、富士山はあまりにも知名度が高すぎる。
日本で二番目に高い山を知らない人が富士山に登る。
そういうことが何となく、嫌に思えてしまったのです。完全な独断と偏見なんですけど。
もちろん立山に登ったときは日本で二番目に高い山なんて知らなかったですし、立山に登った時でさえ、立山のことを何も知らなかったんですが。しかし、立山、白山と登りました。次に登る山はどこか。と考えたときに、やはり富士山が出てきたのです。
宿題といったほうがいいかもしれません。自分の苦手な科目は後に残す。夏休みが終わるときになってやっていないと焦るような気持ちで富士山に登ろうと決めました。
当然、そんな気持ちですから、あまりいい思い出はありません。
それでもこの記事を書くのは、富士山に登ったからこそ、見えてきたものがあり、富士山に登ったからこそ、今の自分があると思うからです。
とりあえず、私が言えることは、一番初めに富士山に連れて行って山登りを始めようとする人は少ないと思います。
富士山に登るために近くの低山でトレーニングをして富士山に登ったら、山登りは終了。というのはあまりにも悲しすぎる。せめて立山に行って終わってほしい。立山から見える山並みを見て何も感じないのであれば、その人は山には向いていないと思うから。
長くなりましたが、前置きは以上となります。
次の記事が本編です。ここまで書いておいて次を勧めるはどうかと思いますが、よかったら読んでください。
続く。
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