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みくりが池温泉出発
山小屋を出ると、ひんやりとした空気が漂っています。
静寂。そんな感じです。空は明るく、太陽が昇ってくるのをみんなが待ち望んでいるような。そんな空気が漂います。
さて、山道ですが、途中までは石畳の道を歩きます。
マップが所々にあり、みくりが池の奥に立山があるので、そちらのほうに歩いていきます。
歩き始めて思います。体が重い。寝起きだからなのか、空気が薄いからなのか。
室堂は2450mです。雄山山頂は3003m、登る高さとしては500mですが、3000mの空気は地上の約7割程度しかありません。
一歩一歩が重くなってきます。
ちょうど立山から太陽が出てきます。
正直、だいぶ寒かったのです。風はないけど、冷える。太陽が出てきて少し安心します。
ちなみに山岳信仰とは
私は神道や山岳信仰には疎いです。しかし、山岳信仰は太陽の信仰だとも聞きました。
山の上から見える日の出は神様の降臨でもあると。夜は暗く、寒く、何も見えません。太陽が昇ると世界は明るく、暖かくなります。
それは世界を明るく、暖かくできるなんて、まさに神の御業。そう昔の人は思い、山岳信仰は発展したのかもしれません。
じんわりと太陽の光を浴びて体が暖かくなってきます。
体も少し軽くなったような。
石畳の道を歩きます。みくりが池温泉から約1時間ぐらいでしょうか。
みくりが池が小さくなってきました。
一時間ほど歩くと、一の越山荘につきます。
ちなみにこのときはなかなかつかないなと思ってした。(下からは山荘が見えません。)
山登りあるあるで、初めて歩く道はとても長く感じます。
しかし一の越山荘まではベンチもあり、道は石畳の道でとても整備されていて歩きやすいです。
下に見えるのが一の越山荘
一の越山荘から雄山までが一時間。
山荘からがいよいよ登山という感じで急斜面を登ります。
しかし下を見れば広がる室堂の景色。
自分が歩いてきた道もわかり、「だいぶ登ってきた!」とテンションが上がり、「あと少し!」と自分を奮い立たせます。
みくりが池から約2時間。おおよそコースタイム通りに雄山山頂に到着。
雄山山頂に雄山神社峰本社があります。
鳥居や社務所があって、さらには人も多くて、少し残念な気持ちになります。
自分の足で一人で登ってきて喧噪から離れたと思っていたのに現実に戻された気分。
しかし、
山頂からはこんな景色が見えます。
見てもらってわかるように天気はいいです。
富士山が見えた!槍が見えた!と聞きますが、どれが富士山か槍ヶ岳がわからず。
とりあえず、目の前の光景にただただすごい!と思うだけです。
こんな標識もあったり、三角点の説明も丁寧です。
雄山神社では祈祷をしてもらえます。(参拝料500円)
実は鳥居から祠までの道が一番怖かったです。
手すりもあるけど、切れ落ちているところもあったり、雄山までの道では踏み外したら落ちるといったところはありませんでしたが、ここはそう感じるところがありました。
雄山神社の祠が最高点です。
こんなかわいらしい標識があります。
雄山神社で祈祷してもらえます。
当然、祈祷なんて初めて。しかし宮司さんはやさしいです。
「足をくずしてください。山の神さまは偉大なので、そんなことでは怒らないでしょう。」
とか、言ってもらえた記憶があります。
祈祷を受けているときはやっぱり厳かな気持ちになって、身が清められる思いがしました。
神仏混同で、祝詞とお経の区別もついていなかったですが、ここで祝詞ってこんな感じなんだと思ったのも思い出です。
雄山神社には小石を持っていく
ちなみにですが、日本三大霊山の富士山、立山、白山のうち、立山と白山のどちらが高いかということがあったようで。
昔の人は白山だといい、立山を信仰していた人たちは白山に高さで負けるのは悔しいということになり、立山の標高を上げようと小石を持って参拝し、頂上に小石を置いて帰ったようです。
その風習から、頂上には小石が多く、宮司さんもそんな説明をしていました。
祈祷を終え、あとは帰るだけです。
社務所で休憩して、降ります。
帰りは来た道を帰るだけなのですが、登山は下りのほうがしんどいといいます。
すでに膝は笑っており、なんどかこけながら雄山を降りていきます。
すでに時刻は10時ということもあり、室堂についた人たちが登ってきます。
いろんな人に「こんにちわ」と声を掛けられながら降りると、自然と力が湧いてくるものです。
11時ころ、みくりが池温泉を出発してから約4時間、コースタイム通りに室堂に帰ってきましたが、結構ヘトヘトの状態でした。
後は車で京都に帰るだけです。
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